ロック好きのアナルチルドレンども、おはよう!
かつて僕は不良に憧れた。まじで。
かつてといっても小学生の頃だけど。
僕の町では当時シンナーが蔓延していた。友達の家に遊びにいってファミコンでもしていると、そいつの親父が「おまえらこれでも吸っとけ」とシンナーをくれた。そんな町だった。
不良はいつもなにかに反抗しているようで、苛立っていて、目つきが鋭くとんがっていてかっこよかった。そして優しくもあった。
映画「ビーバップ・ハイスクール」を観て、TVドラマ「はいすくーる落書」を観て、山形新聞で何回も取り上げられた我が地元の中学校の校内暴力事件の記事をみて、僕も彼らのようになりたいと思った。
僕もいつか、必ず不良になろう! かたく誓った。
だがうまくいかなかった。
まず不良の第一条件、「怒り」が僕のなかに見当たらなかった。
家族の仲はそれなりによかったし、むかつくクラスメイトはいたけどそいつに喧嘩を売れば逆にボコボコにされるのが関の山だったので、媚びを売ることしかできなかった。
「怒り」より「あせり」ばかりがあった。
あと肝心の「見た目」。
内股でたれ目の僕には不良の女神は味方しなかった。
「趣味」。決定打だったのはこれだった。
クラスの不良たちが好んで聴いていたのは矢沢永吉・氷室・ハウンドドッグとかだったりしたのだが、僕のお気に入りは森高千里・筋少・ribbonだった。
これには自分でもガッカリした。ダイエー裏の「アニメージュ」に通っている事がバレたら、あの学校じゃ全員から袋叩きだ。
僕はエロ本を買う勇気もなく自分のケツを鏡でのぞいて、「これは女のお尻だ」と思いこんでオナニーしていた男だ。
保健体育の授業で精子が「生きもの」だとわかり、頭が混乱してその夜に高熱がでて、それからしばらく晩御飯のあまりものを自分の部屋でこまかく刻んで勉強机に発射した精子にエサをやっていた男だ。
不良になどなれるわけがなかった。
パンクスにも。モッズにも。B−BOYにも。
自分にはなれないから憧れる。馬鹿にする気持ちと表裏一体にある。ザ・フーを聴いてかんたんにモッズ語る奴には死んでもなりたくない。なれないんだもん。
僕が語れるのは、こんな土曜日の午前中にえらそうに語れることがあるとすれば、不良になりたくてもなれなかった奴の、不良への落とし前のつけかただ。
「怒り」・「見た目」・「趣味」。これらがたとえ不良とはかけ離れていても、不良へのロマンをいつももっていたい。
善良な市民のふりをしてニタニタしている奴らに吐き気がするんなら、自分がもっと善良な市民になって自分がもっとニヤニヤするしかない。
自分の顔かくして他人を中傷する人たちに対抗するなら、自分の顔をもっと出して中傷される機会をもっと自分でつくるべきだ。ちょっと文句言われたからってホームページ閉鎖するんなら最初からつくんなきゃいい。
僕がかつて不良から教わったのはそうゆうことだ。
峯田和伸の★がぶがぶDIEアリー:男たちへ。 ※女は絶対に読むな - livedoor Blog(ブログ)